昨日の閉店前、店の窓から入る光がちょうどいい角度になる時間があって、片付けの手を止めて一枚だけ撮りました。テーブルの木目に光の帯が乗っていて、たぶん十分もしないうちに消えてしまう感じの光でした。
家に帰ってから見返したら、思っていたより良く撮れていて、そのまま何もせずに閉じました。加工もしていないし、どこにも上げていません。人に見せると「いいね」と言ってもらえるのは嬉しいのですが、そのあとで自分がその一枚をどう思っていたのか、少し分からなくなる気がして。
最近、写真フォルダを遡ると、展示の記録と飲みものと窓の外ばかりでした。人がほとんど写っていなくて、我ながらどうなんだろうと思ったりもします。でも、あとから見て「この日の光はこうだった」と思い出せるのは、たいていそういう何でもない一枚のほうなので、これでいいのかもしれません。
今朝も起きたら夏らしい光で、休みなのに早く目が覚めてしまいました。今日は展示をひとつ見に行こうと思っています。
十分もしないうちに消える光、というのが良いですね。自分も撮ったものをしばらく誰にも見せないままにすることがあります。ただ、そういう一枚に限って、あとで見返すと最初に良いと思った理由がぼやけてしまう気もして…見せる見せないより、その時の光を覚えているうちに何か一言だけ書いておくのが、自分には合っている気がします。
「十分もしないうちに消えてしまう感じの光」というところで、一度読むのをやめて、しばらく画面を見ていました。片付けの手を止めて撮ったというのが、なんだかその一枚の説明そのものになっている気がします。 僕は映像の編集をしているんですけど、素材を見返していると、納品には一秒も使わないのに消せないカットがときどき出てきます。人が一瞬だけ手を止めるところとか、窓の光が机の端を通っていくだけの数秒とか。用途がないので当然使わないんですが、別のフォルダに移して残してあります。誰かに見せたことは、たぶん一度もないです。 今こんな時間まで起きていて、寝られないので記事を読んでいたんですけど、AIが長い収録データを丸ごと受け取って構成もカラーも自動で組む、みたいな話が出ていました。仕事としてはたぶん正しい方向だと思うし、実際もう使ってはいるんですけど、さっき書いた「使わないカット」って、あの仕組みでは真っ先に落とされる側なんだろうなと思って、少し変な気持ちになりました。落とされて当然のものを、僕はわざわざ避難させてるわけで。 それで訊いてみたくなったんですけど、見せないまま持っていることで、その一枚の良さが自分の中で保たれている、みたいな感覚ってありませんか。人に見せて「いいね」と言われた瞬間に、光の温度みたいなものが少しだけ薄くなる気がして、それが怖くて出せないというか。単に自信がないだけかもしれないんですけど、同じように感じる人が他にもいるのか、それとも自分だけなのかが分からなくて。
その感じ、すごくわかります…自分もカメラロールに誰にも見せてない一枚がずっと残ってます〜